あの日の笑顔
投稿者 らっこまん7 2016年2月26日
あり得ないことが起こっている。
こんなことあってはいけないと思う。けれども事の全容がさっぱり解らない。
●STAP現象騒動が投げかけている問題とは何なのだろうか?
・<事実>とは何か?
・人は人のことをどこまで裁いてよいのだろうか?
・どのように裁き裁かれ、道を拓いていけばよいのだろうか?
このような疑問を抱きつつ本書を手に取った。本のタイトル「あの日」とは、あの初めての会見の日であり、著者にとって人生をやり直すために戻るべき<あの日>でもあるようだ。
P.1
あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます。
ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----
著者はまず、戸惑いと反省の言葉と謝罪から書き出している。私はこの本を読んで初めて、笹井博士、若山博士、小保方博士(※当時)の研究に於ける出会いの経緯と役割分担を知った。
小保方晴子さんが研究の全てを担っていて世紀の大発見が為され、しかも実用間近であるという印象を持っていた。まずそこが違っていた。
・STAP細胞(現象)までが、小保方さんの担当。
・STAP幹細胞=さらに増殖するように変化させた「多様性を有する細胞」が若山博士の担当。
・笹井博士は、科学誌投稿の為の論文執筆と「STAP細胞」の命名をしたという。そういう事であるならば、我々が熱望しているのは「STAP幹細胞」の方であって、若山博士不参加の再現実験では「多様性の確認」は限りなく難しいことになる。なのに「キメラマウス作製が実験成功の基準」と理研は定めたという。無理が前提ではないか。
ここで不可解なのは、次の二点だ。
・なぜ早い段階の会見や発表で、また報道によってそれが周知されなかったのか?
・理研による再現実験失敗会見に於いてその違いの説明がなかったのは何故なのか?隠された意図があるにしても、ないにしても、報道も会見も偏向している。
著者によると、自身に於いても、また独立して行われた丹羽博士の検証実験に於いても「体細胞が多機能性マーカーを発現する細胞に変化する現象」=STAP細胞(現象)の再現性は確認されているとある。(P.238)
ならば小保方さんの責任範疇の再現実験は成功している。ただ世間が期待している「STAP幹細胞」の再現には至っていない、そういう違いの説明をなぜ理研はしなかったのか?
これでは小保方さんに疑惑の目が向けられるのは当然である。世間は、STAP細胞とSTAP幹細胞の違いを把握していない、あるいは混同している。そういう世間の無知をいい事に小保方さん一人に疑惑と責任を押しつけている形である。ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----この本の帯には「真実を歪めたのは誰だ?」と書かれている。
……きっと<真実>というのは、人間が心で観るものなのだと思う。それは<事実>とは次元がちがうものなのだと思う。<人間は己の望むものを見る>。己に疑う心があれば何を見ても疑惑に繋がる。果たして自分は、公平・公正に感情を入れずに見ているだろうか?
そういう視点であえて云えば、この本に書かれている事が全て事実とは限らない。関係当時者の証言や記録を付き合わせれば事実確認が取れるかも知れないが、不可解は不可解のままである。
小保方さんが理研に招かれた経緯。理研が出願している特許の動向。若山博士の変心。笹井博士の選択、あるいは結果。小保方さんに下した理研の処分。それらの本当の理由についての不可解は、この本を読んでも解消されない。それは単なる事実の範疇にはないからだ。<不実>とは、事実ではないこと。誠実ではないこと、親切気のないことである。
実験が捏造であった、それが仮に結果として正しかったとしても、この一連の糾弾に誠実さや親切心があるのだろうか?
ないのならばそれもまた不実ということになる。
一つ大きな疑問がある。小保方さんが捏造画策をしたと思うなら、なぜ親身になって心配してやらないのだろう?もしこれが家族や身内の事であっても同じように扱うのだろうか?<事実>と<疑惑を基にした批判>と<真実>との狭間で様々な感情と利害とがせめぎ合っている。
第六感に従うならば、小保方さんは捏造などしていない。そういう人ではない。本を読むとそういう気持ちになる。しかし、事実関係だけに頼るならば、確かに断言はできないだろう。
はっきりしていることがある。諸々の疑義において、そこに捏造の意図があったかどうかまでは、第三者には判らないということだ。
世間の小保方さんに対するこの集中攻撃は、まるでアレルギー反応のようだ。けれども、もっともっと恐ろしいのは自己免疫である。
この本を読んでいて明らかに小保方さんが間違っていると思われるところを観つけた。
それはご自身を必要以上に責めておられるところなのです。休むことのない精神の責め苦から解放してあげられるのは自分の両手だけでしょう。精神科で処方される薬はいけませんよ。知り合いにいたのです。ヤク漬けと同じことになります。いけません。P.7
助 けてもらったのはいつも心の弱い私の方だった。何もしてあげることができなかったという無力感と友人に訪れた運命の理不尽さに対するぶつけようのない怒り や悲しみは、「この理不尽さに立ち向かう力がほしい、自分にできることを探したい」との思いに変わり、この思いはいつしか私の人生の道しるべとなっていっ た。
P.240
誰かの役に立つ仕事に就くのが夢だった。その道をまっすぐに追ってきたはずだった。これまでの人生のあらゆる場面を思い出 し、いつのどの判断が間違っていたのか、どうしていたらよかったのか、私はここまで責められるべき悪人なのだと思うと、この世に自分が存在してしまってい ることが辛く、呼吸をすることさえ悪いことのように思えた。
ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----
無力にも私も、何もして上げられません。けれど騒動の渦中におられた当事者だからこそできることがあるはずです。過ちは改めればいい。事実は静かに主張していい。抱いている夢が、志が、真のものであると、変わらずにいることが、全てを背負った笹井芳樹博士の御供養になる。
現実は時にあり得ない。世間には理不尽な扱いを受けて、それでも投げ出す事もできずに生きている人たちがいる。そんな不条理な現実を儚んでいる人たちの道しるべになるかもしれない。
最後まで自分を助けてくれるのは、己の抱いているものだけでしょう。人の評価はまた別の問題です。あの時に願った通りの現実が現れているようです。<この理不尽さ>それに<立ち向かう力>。
あの日の笑顔のままでいればよいと思うのです。この本で、とても心打たれたのは、笹井芳樹博士のこの言葉の引用部分でした。
P.135
「僕はね、科学者は神の使徒だと思っているんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれているんだよ。だから真の科学者は神の使徒なんだ。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事な んだよ。神に仕える身として日々を過ごすんだよ」
こんなことあってはいけないと思う。けれども事の全容がさっぱり解らない。
●STAP現象騒動が投げかけている問題とは何なのだろうか?
・<事実>とは何か?
・人は人のことをどこまで裁いてよいのだろうか?
・どのように裁き裁かれ、道を拓いていけばよいのだろうか?
このような疑問を抱きつつ本書を手に取った。本のタイトル「あの日」とは、あの初めての会見の日であり、著者にとって人生をやり直すために戻るべき<あの日>でもあるようだ。
P.1
あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます。
ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----
著者はまず、戸惑いと反省の言葉と謝罪から書き出している。私はこの本を読んで初めて、笹井博士、若山博士、小保方博士(※当時)の研究に於ける出会いの経緯と役割分担を知った。
小保方晴子さんが研究の全てを担っていて世紀の大発見が為され、しかも実用間近であるという印象を持っていた。まずそこが違っていた。
・STAP細胞(現象)までが、小保方さんの担当。
・STAP幹細胞=さらに増殖するように変化させた「多様性を有する細胞」が若山博士の担当。
・笹井博士は、科学誌投稿の為の論文執筆と「STAP細胞」の命名をしたという。そういう事であるならば、我々が熱望しているのは「STAP幹細胞」の方であって、若山博士不参加の再現実験では「多様性の確認」は限りなく難しいことになる。なのに「キメラマウス作製が実験成功の基準」と理研は定めたという。無理が前提ではないか。
ここで不可解なのは、次の二点だ。
・なぜ早い段階の会見や発表で、また報道によってそれが周知されなかったのか?
・理研による再現実験失敗会見に於いてその違いの説明がなかったのは何故なのか?隠された意図があるにしても、ないにしても、報道も会見も偏向している。
著者によると、自身に於いても、また独立して行われた丹羽博士の検証実験に於いても「体細胞が多機能性マーカーを発現する細胞に変化する現象」=STAP細胞(現象)の再現性は確認されているとある。(P.238)
ならば小保方さんの責任範疇の再現実験は成功している。ただ世間が期待している「STAP幹細胞」の再現には至っていない、そういう違いの説明をなぜ理研はしなかったのか?
これでは小保方さんに疑惑の目が向けられるのは当然である。世間は、STAP細胞とSTAP幹細胞の違いを把握していない、あるいは混同している。そういう世間の無知をいい事に小保方さん一人に疑惑と責任を押しつけている形である。ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----この本の帯には「真実を歪めたのは誰だ?」と書かれている。
……きっと<真実>というのは、人間が心で観るものなのだと思う。それは<事実>とは次元がちがうものなのだと思う。<人間は己の望むものを見る>。己に疑う心があれば何を見ても疑惑に繋がる。果たして自分は、公平・公正に感情を入れずに見ているだろうか?
そういう視点であえて云えば、この本に書かれている事が全て事実とは限らない。関係当時者の証言や記録を付き合わせれば事実確認が取れるかも知れないが、不可解は不可解のままである。
小保方さんが理研に招かれた経緯。理研が出願している特許の動向。若山博士の変心。笹井博士の選択、あるいは結果。小保方さんに下した理研の処分。それらの本当の理由についての不可解は、この本を読んでも解消されない。それは単なる事実の範疇にはないからだ。<不実>とは、事実ではないこと。誠実ではないこと、親切気のないことである。
実験が捏造であった、それが仮に結果として正しかったとしても、この一連の糾弾に誠実さや親切心があるのだろうか?
ないのならばそれもまた不実ということになる。
一つ大きな疑問がある。小保方さんが捏造画策をしたと思うなら、なぜ親身になって心配してやらないのだろう?もしこれが家族や身内の事であっても同じように扱うのだろうか?<事実>と<疑惑を基にした批判>と<真実>との狭間で様々な感情と利害とがせめぎ合っている。
第六感に従うならば、小保方さんは捏造などしていない。そういう人ではない。本を読むとそういう気持ちになる。しかし、事実関係だけに頼るならば、確かに断言はできないだろう。
はっきりしていることがある。諸々の疑義において、そこに捏造の意図があったかどうかまでは、第三者には判らないということだ。
世間の小保方さんに対するこの集中攻撃は、まるでアレルギー反応のようだ。けれども、もっともっと恐ろしいのは自己免疫である。
この本を読んでいて明らかに小保方さんが間違っていると思われるところを観つけた。
それはご自身を必要以上に責めておられるところなのです。休むことのない精神の責め苦から解放してあげられるのは自分の両手だけでしょう。精神科で処方される薬はいけませんよ。知り合いにいたのです。ヤク漬けと同じことになります。いけません。P.7
助 けてもらったのはいつも心の弱い私の方だった。何もしてあげることができなかったという無力感と友人に訪れた運命の理不尽さに対するぶつけようのない怒り や悲しみは、「この理不尽さに立ち向かう力がほしい、自分にできることを探したい」との思いに変わり、この思いはいつしか私の人生の道しるべとなっていっ た。
P.240
誰かの役に立つ仕事に就くのが夢だった。その道をまっすぐに追ってきたはずだった。これまでの人生のあらゆる場面を思い出 し、いつのどの判断が間違っていたのか、どうしていたらよかったのか、私はここまで責められるべき悪人なのだと思うと、この世に自分が存在してしまってい ることが辛く、呼吸をすることさえ悪いことのように思えた。
ーーーー・・・---- ーーーー・・・---- ーーーー・・・----
無力にも私も、何もして上げられません。けれど騒動の渦中におられた当事者だからこそできることがあるはずです。過ちは改めればいい。事実は静かに主張していい。抱いている夢が、志が、真のものであると、変わらずにいることが、全てを背負った笹井芳樹博士の御供養になる。
現実は時にあり得ない。世間には理不尽な扱いを受けて、それでも投げ出す事もできずに生きている人たちがいる。そんな不条理な現実を儚んでいる人たちの道しるべになるかもしれない。
最後まで自分を助けてくれるのは、己の抱いているものだけでしょう。人の評価はまた別の問題です。あの時に願った通りの現実が現れているようです。<この理不尽さ>それに<立ち向かう力>。
あの日の笑顔のままでいればよいと思うのです。この本で、とても心打たれたのは、笹井芳樹博士のこの言葉の引用部分でした。
P.135
「僕はね、科学者は神の使徒だと思っているんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれているんだよ。だから真の科学者は神の使徒なんだ。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事な んだよ。神に仕える身として日々を過ごすんだよ」
「あの日」小保方晴子を読んで
投稿者 ryusyu 2016年2月25日
投稿者の中で、小保方さんを批判している人の多くは、若山教授の特許51%に触れていない。研究がまだどちらに行くかわからない段階で、若山は、特許の話を出し、しかも、51%を主張するとはいかがなものか?ここに、若山の焦りというか、功名心がのぞく。若山は、記者会見でも小保方さんを陥れるような嘘をついている。限りなく黒に近い灰色だ。
理研でのキャリアが2年という小保方さんに、笹井さん、丹羽さん、若山教授など、権威者を相手に研究をリードしていくことが可能でしょうか。多くの読者自身に置き換えてみてください、入社2年目で会社を動かすことなど全くの不可能なことだ。末端のお手伝いがせいぜいだろう。批判している人の多くは、全く想像力が欠如している。それを前提に、小保方さんが、ミスはあるが、それは若さだろう。不正を働く動機が見つからない。その逆に、若山教授は、様々な人脈を使い、情報のリークなど疑わしいことをたくさんやっている。勝手に海外に向けて、共同研究者の許可も得ずに、インタビューに応じている。やりたい放題だ。小保方さんを批判している人たちは、ここにはほとんど触れていない。なぜだろうか。その辺を読者はよく見てほしいと思う。さらに、理研という組織のどす黒さが際立っている。小保方さんは、大変抑制的に描いているが、ひどい組織だ。利用できると判断すれば、利用しつくし、ダメだと分かると徹底的に貶める。最後に、60万円という金を小保方さんに請求していることからも分かる。野依理事長は、ノーベル賞を取っているにもかかわらず、人間的に汚点を残した。これで、叙勲もいただけないだろう。それも、メディアや団体、内部の不良分子を使っている。
それから、この事件を通して、メディアや団体による「いじめ」がひどい。笹井さんも若山教授、分子生物学会の大隅典子理事長、理研のkahoという遠藤高帆、毎日の須田桃子記者、NHKの藤原淳登記者に殺されたと言っていい。特に、須田記者は、脅迫めいたメールで小保方さんを追い詰めていた。下衆っぽく言えば、女の嫉妬だ。NHKは、暴力取材をやった。メディアがペンを使い殺人を犯した。犠牲となった笹井さんが痛ましい。
小保方さんは、研究者としても道を奪われた。早稲田の罪は、大きい。小保方さんを社会から抹殺した。やり方も理不尽極まりない。論文の書き直しに、文字の大きさを変えろ?英文を日本語に、章立てを変えろなどおよそ内容とは大きくかけ離れている。 難癖と言ってよい。ヤクザと同じだ。否、知見がるだけにヤクザ以上の汚さだ。いったん出した学士号だろう。自らの仕事のずさんさを棚に上げ、小保方さん一人に責任を押し付けた。調査委員会委員長の論文にも不正が見つかった。にもかかわらず、他の論文不正には目をつむり、小保方さんだけを血祭りにあげた。早稲田大学の創始者の大隈重信が泣いているだろう。
小保方さんには、日本から出て、アメリカで研究者としてやり直してほしい。ぜひ頑張ってほしい。これは、間違いなく冤罪そのもの日本人の空気に流されやすい偏狭な思想が作り出した大きな罪だ。
何も反論できない小保方さんに許された唯一の反論の機会だ。これに難癖をつける人がいると言うことは、イエス・キリスト以上の神なのだろう。イエスは、罪を犯した女が石ぜめの刑に処せられようとした時、「罪を犯したことの無いものだけが石を投げなさい」と言ったとか、その言葉に、石を投げようとした人々は、一人去り、二人去り、最後には、石を投げる者が誰一人としていなくなったと言う話を思い出す。しかし、現在、世の中には、神はいないのだろう。まして、日本には。今の小保方さんたたきは、これに似ている。自分を棚に上げ、匿名をよいことに、他人をこれでもかと貶めようとする。特に、ネットではこれが ひどい。言ったことに責任がないのだと言う自覚に基づいている。単なる憂さ晴らしと言ってよい。か弱い女性一人に気が狂ったように悪口雑言の限りだ。日本人にはこういう類の人間はいないと期待していたが、残念。
こんな世の中、日本ではあるが、最後に、小保方さんの再起を祈らずにはいられない。
理研でのキャリアが2年という小保方さんに、笹井さん、丹羽さん、若山教授など、権威者を相手に研究をリードしていくことが可能でしょうか。多くの読者自身に置き換えてみてください、入社2年目で会社を動かすことなど全くの不可能なことだ。末端のお手伝いがせいぜいだろう。批判している人の多くは、全く想像力が欠如している。それを前提に、小保方さんが、ミスはあるが、それは若さだろう。不正を働く動機が見つからない。その逆に、若山教授は、様々な人脈を使い、情報のリークなど疑わしいことをたくさんやっている。勝手に海外に向けて、共同研究者の許可も得ずに、インタビューに応じている。やりたい放題だ。小保方さんを批判している人たちは、ここにはほとんど触れていない。なぜだろうか。その辺を読者はよく見てほしいと思う。さらに、理研という組織のどす黒さが際立っている。小保方さんは、大変抑制的に描いているが、ひどい組織だ。利用できると判断すれば、利用しつくし、ダメだと分かると徹底的に貶める。最後に、60万円という金を小保方さんに請求していることからも分かる。野依理事長は、ノーベル賞を取っているにもかかわらず、人間的に汚点を残した。これで、叙勲もいただけないだろう。それも、メディアや団体、内部の不良分子を使っている。
それから、この事件を通して、メディアや団体による「いじめ」がひどい。笹井さんも若山教授、分子生物学会の大隅典子理事長、理研のkahoという遠藤高帆、毎日の須田桃子記者、NHKの藤原淳登記者に殺されたと言っていい。特に、須田記者は、脅迫めいたメールで小保方さんを追い詰めていた。下衆っぽく言えば、女の嫉妬だ。NHKは、暴力取材をやった。メディアがペンを使い殺人を犯した。犠牲となった笹井さんが痛ましい。
小保方さんは、研究者としても道を奪われた。早稲田の罪は、大きい。小保方さんを社会から抹殺した。やり方も理不尽極まりない。論文の書き直しに、文字の大きさを変えろ?英文を日本語に、章立てを変えろなどおよそ内容とは大きくかけ離れている。 難癖と言ってよい。ヤクザと同じだ。否、知見がるだけにヤクザ以上の汚さだ。いったん出した学士号だろう。自らの仕事のずさんさを棚に上げ、小保方さん一人に責任を押し付けた。調査委員会委員長の論文にも不正が見つかった。にもかかわらず、他の論文不正には目をつむり、小保方さんだけを血祭りにあげた。早稲田大学の創始者の大隈重信が泣いているだろう。
小保方さんには、日本から出て、アメリカで研究者としてやり直してほしい。ぜひ頑張ってほしい。これは、間違いなく冤罪そのもの日本人の空気に流されやすい偏狭な思想が作り出した大きな罪だ。
何も反論できない小保方さんに許された唯一の反論の機会だ。これに難癖をつける人がいると言うことは、イエス・キリスト以上の神なのだろう。イエスは、罪を犯した女が石ぜめの刑に処せられようとした時、「罪を犯したことの無いものだけが石を投げなさい」と言ったとか、その言葉に、石を投げようとした人々は、一人去り、二人去り、最後には、石を投げる者が誰一人としていなくなったと言う話を思い出す。しかし、現在、世の中には、神はいないのだろう。まして、日本には。今の小保方さんたたきは、これに似ている。自分を棚に上げ、匿名をよいことに、他人をこれでもかと貶めようとする。特に、ネットではこれが ひどい。言ったことに責任がないのだと言う自覚に基づいている。単なる憂さ晴らしと言ってよい。か弱い女性一人に気が狂ったように悪口雑言の限りだ。日本人にはこういう類の人間はいないと期待していたが、残念。
こんな世の中、日本ではあるが、最後に、小保方さんの再起を祈らずにはいられない。
